武士道の闇をえぐる「切腹」(1962) – 小林正樹監督 ネタバレなし 映画感想 – あなたは竹光で腹を切れるか

切腹 映画

今回の記事では、1962年公開、つまりはずーっと昔に公開された映画の「切腹」を紹介します。もちろん私もリアルタイムで映画館で観た世代ではありません。ちなみにアイキャッチ画像(タイトル)の「HARAKIRI」は英題です。

主演に仲代達也、敵役に三國連太郎という豪華なキャスティング。
なおこの作品、2011年に三池崇史監督、市川海老蔵主演で「一命」というタイトルでリメイクされています。そちらのレビューもいつか書きたいと思っています。

あらすじ

時は寛永7年(1630年)、井伊家の江戸屋敷に津雲半四郎と名乗る老いた武士が現れる。

半四郎は、このまま貧乏にあえいで生きてゆくよりも武士らしくいさぎよく腹を切りたい、ひいては切腹の場として井伊家の庭先を使わせてほしいと嘆願する。

しかし半四郎を金品目当てのたかりの輩とみた井伊家の家老、斎藤勘解由(かげゆ)は、最近同じような嘆願の末に井伊家の庭先で切腹した若い浪人の悲惨な顛末を半四郎に話し、切腹を思いとどまらせようとする。
しかし半四郎は意に介さず切腹の決意は変わらないと答える。そして切腹の場で半四郎は自身の身の上を語り始めるのであった。

予備知識

1630年、江戸時代初期の江戸が舞台です。将軍は3代目の徳川家光。関ヶ原の戦いが1600年、豊臣家が滅亡した大阪夏の陣が1615年ですから、戦乱の時代は過去のものとなりつつあります。

見どころ

ミステリー要素

登場人物たちの互いの関係や過去など、最初はまったくわからない状態から徐々に事実関係が明らかになっていくというミステリー的な構成となっています。

ただ、戦争がなくなると武闘派で生きてきた武士たちは仕事がなくなって生きていけなくなってしまうんですね。「切腹」ではそうした「食い詰め浪人」たちが江戸には少なからずいたと描かれています。

名優同士のぶつかり合い

主人公の謎の老人、半四郎を演じるのは仲代達也さん(なんとこのとき29歳だったというのも驚き)。いっぽうの井伊家の家老を演じるのは三國連太郎さんです。この二人の腹の探り合い、ぶつかり合いが実に迫力にあふれていてこの作品の見どころの一つとなっています。仲代達也さんはこのころから変わらず誠実な熱血漢が似合いますし、三國連太郎さんは「釣りバカ」のずっと前で、なんというか若いながらもセクシーな妖怪のような、この世のものではないような怪しい魅力がありますね。

ストーリーの補足

「お宅の庭で切腹させてください」が流行していた

「切腹」では、この時代の江戸では大名の江戸屋敷を訪ねて、このまま貧困にあえぎながら生きていくよりいっそ潔く切腹したいので庭先を貸してほしい、とお願いするのが食い詰め浪人たちの間で流行っていたと描かれます。

流行の背景には一発逆転のサクセスストーリーがあった

いったいなぜそのようなことが流行ってしまったのか?それは一人の浪人の成功例が広まってしまったためだったのです。

ある浪人が大名の屋敷を訪れて、切腹を願い出たところ、その大名家の人は浪人の覚悟にいたく感服し、家臣としてその浪人を迎え入れたのです。まさにサクセスストーリーです。

その噂はほどなくして江戸の町に広まり、同じように食い詰めた浪人たちの中には死ぬつもりもないのに形だけマネをしようとする者たちが出てきたわけです。

史実にこういうことが本当にあったのかはわかりませんし、以下は私の空想ですが、切腹させてくれと頼まれた武家のほうとしても迷惑な話で、庭先だけ貸せと言われても切腹にはしきたりがあるので介錯役を選んだり衣装を用意したり、死後は遺族に連絡して・・などなど手間がかかります。もちろん本人の希望とはいえ自分の屋敷で死なれたら後味悪いし、、といった感じだったのではないかと想像します。

そんなわけで面倒くさいから金を与えて言いくるめて追い払ってしまえ、という弱腰な対応をしていた武家が少なからずあったと「切腹」では描かれます。

井伊家はガチだった

しかしこの作品のメインの舞台となる井伊家は違いました。幾多の大戦(おおいくさ)において武勇で鳴らした井伊家は、そのような情けない対処しかできない他の武家たちを情けないと憤っており、この悪循環を断ち切らねばならないと考えていたのです。

「ガチの武家」にたかりに行ってしまった若い浪人の悲惨な最期

そんなガチの武家である井伊家にたかりに行ってしまった、ある若い浪人がいました。井伊家の家老の勘解由が半四郎に話して聞かせた例の若者です。身なりがみすぼらしいのはもちろんのこと、なんと「武士の魂」である刀まで竹光(竹で作った模造刀)を携帯しているという有様で、これがさらに井伊家の人たちの逆鱗に触れます。

それから若者は、家族に最後の別れを告げに帰宅することすら許されず、なんと自分が持っていた竹光で切腹するよう井伊家の家中の人たちによって追い込まれていきます。

「どうした?お前の刀だろ?これで切れよ」というわけです。

竹ですから、とうぜん切れるわけもなく、断末魔への長い苦しみにもがきながら命を落としてゆく若い浪人。

とてつもなく恐ろしく凄惨な場面ですが、前述の江戸の風紀の乱れのこともあり、居あわせた井伊家の人たちの中ではこうした追い込みは正当化され、集団心理も手伝って誰も悪びれる者はいませんでした。

腹を切らせろと言っても、まさか切らせはすまい。
そのような甘い考え方がすべて間違いの元。
腹を切るという者には切らせる、いや切ると言うからには必ず切らせてみせる、

それが当井伊家の家風。

出典:切腹 (1962)

現代日本の社会問題についても考えさせられてしまう

日本人にしかわからない(かもしれない)「追い込み」

この作品のテーマは、現代を生きるわれわれ日本人の価値観にも大きな影響を与えているであろう概念「武士道」がもつ負の側面にフォーカスすることだと思います。私も日本人として自分の価値観や生き方は武士道の影響を少なからず受けていると感じます。

ですのでもちろん武士道のもつ良い面についてまで否定する意図はありません。

ですが、現代の日本で社会問題とされている様々な問題、たとえば過労死や、パワハラ、職場や学校でのいじめ、ひきこもりなどについて「切腹」を見た後にはどうしても考えさせられてしまいます。

この作品が公開された1963年にはまだこれらの社会問題は言葉としてはまだ認知されていなかったのではないかと思いますが、概念としては存在していたのではないでしょうか。「切腹」が問題提起する武士道及び日本人のメンタリティがもつネガティブな面が生じさせる息苦しさや生きづらさといった感覚は現代の日本にも通じる普遍的なものなのだろうと思います。

リメイク版「一命」との違い

最後にリメイク版である「一命」(2011)との違いですが、「切腹」での井伊家および家老が「悪」の度合いが強く、敵役としてのイメージが強い演出になっています。もちろん武士道を信奉するも立場と否定する者、双方の主張のぶつかり合いという主軸からはブレません。いっぽうのリメイク版「一命」では井伊家の家老を役所広司さんが演じていることも手伝って、かなり悪オーラは抑えられていると感じます。

おわりに

以上、今回の記事では映画「切腹」(1963)の魅力についてまとめました。
最後まで読んでいただいてどうもありがとうございました。

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